越前へ

道元禅師は1200年京都に生まれ、12歳で出家して比叡山に入りました。栄西禅師の弟子である明全和尚と共に宋に渡り、寧波阿育王山など数々の寺を巡った末、師となる如浄禅師から法をつぎました。京都深草で興聖寺を開創、ついに越前に赴き曹洞宗大本山永平寺を開きました。
永平寺では現在も約150名の修行僧が日々の修行をしています。
修行僧野一日
・坐禅
・朝課(朝のおつとめ読経)
・行鉢(正式な作法に則る食事)
・作務
一乗谷城は戦国時代に朝倉氏五代が約百年にわたって越前を支配した際に築いた山城です。城は川に沿った谷筋である一乗谷をそのまま城塞化して、武家屋敷などが建ち並ぶ防御性の城下町を抱えました。一乗谷城の戦いで信長軍に敗れた越前朝倉氏は1573年に滅亡します。1574年には越前一向一揆が勃発。一揆平定後1575年に柴田勝家が北ノ庄城を築城し越前の首都機能が移転したことにより、一乗谷城は廃城となりました。
土に埋もれていた町は、武家屋敷・寺院・町屋・職人屋敷や道路に至るまで町並がほぼ完全な姿で1967年に発掘されました。武家屋敷の東南に設けられた小さな離れ座敷は茶座敷です。戦乱を逃れて多くの文化人が居住したこと、独自交易で貴重な海外製品を入手するルートを持っていたこと、文化・経済が充実する基盤が整っており、北ノ京と称される繁栄を誇ったせいでしょうか。
京都の金閣寺や広島の厳島神社に並ぶ国の三重指定(特別史跡・特別名勝・重要文化財)を受ける大変貴重な遺跡です。

2020年10月30日facebook記事より

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