越後米沢街道、またぎ文化を知る

伊達政宗公生誕の地

十二山の神祈願祭に使用するボンテン

高黍(こーりゃん)うどん

山形置賜地域と新潟下越地域をむすぶ越後米沢街道十三峠は1522年に伊達氏によって最初の峠が開かれました(伊達政宗は米沢生まれ)。1598年上杉景勝が会津に封じられ、米沢に配された重臣直江兼続は駅場を設け問屋を定めて輸送の円滑化を図りました。米沢方面から煙草、米などが、新潟方面から鉄、塩などが運ばれるようになります。関ヶ原の闘いで西軍についた上杉景勝は減封されて米沢城に移り、以後約270年間米沢は上杉家が治める地となりました。
1878年(明治11年)にイギリスの女性旅行作家イザベラバードが5月から3ヶ月に渡り東日本を旅して書いた『日本奥地紀行』で米沢を東洋のアルカディアと称賛したことは有名です。大きな山岳地帯に難儀したと記された十三峠の山中にはまたぎ文化が息づいています。
黒文字茶、黒文字で編むかんじきがありました。

2022年10月13日facebook記事より

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