愛媛県四国中央市、脇製茶場のすぐ横には、江戸時代に土佐藩主の参勤交代行列が通った土佐街道、土佐藩が参勤交代に使った道で、近くには6代から16代の藩主が本陣としていた馬立本陣が残っています。
製茶工場前の馬立川は蛍の名所としてたくさんの見物客が集います。
日本初の日記『土佐日記』を著した紀貫之(868頃~945頃)が930年、国司として土佐へ着任する時に使った道やお遍路の道など人々の生活を支え、歴史を作った山が連なる道にはお茶がありました。
(2016-1-8)
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愛媛県四国中央市、脇製茶場のすぐ横には、江戸時代に土佐藩主の参勤交代行列が通った土佐街道、土佐藩が参勤交代に使った道で、近くには6代から16代の藩主が本陣としていた馬立本陣が残っています。
製茶工場前の馬立川は蛍の名所としてたくさんの見物客が集います。
日本初の日記『土佐日記』を著した紀貫之(868頃~945頃)が930年、国司として土佐へ着任する時に使った道やお遍路の道など人々の生活を支え、歴史を作った山が連なる道にはお茶がありました。
(2016-1-8)