元禄時代、川越藩主だった柳沢吉保が荻生徂徠の提案で開拓させた農地は、幅6間(約10.9m)の道の両側に農家が並び、その1軒の農家ごとに畑、雑木林が面積均等になるように並んでいるという地割がされ、この方法は北宋の王安石の新田開発法を参考にしたといわれています。そのようになっている地域は総称して三富新田と呼ばれ、この整然とした地割と景観は現代まで良く残され、埼玉県指定文化財に指定されています。川越ではそれ以前よりそのような地割であったといい、訪れた小野文製茶所有茶畑からも畑、雑木林、住宅の地割をみることができました。
(2016-11-17)
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