「或るときは石峯に跨て糧を断てかんかたり」『三教指帰』
西日本最高峰石鎚山は、奈良時代685年に修験道の始祖役行者により開山されたという伝説が残る霊山で、空海も山岳修行を行っています。この石鎚山で最後の生産者曽我部さんが90歳を過ぎ数年前に山を下りる前までは石鎚黒茶という幻のお茶が存在していました。かつて、石鎚山山麓一帯の秘境と言われた平家の落人村落で桶に漬けて白カビを発生させた後に日干乾燥させた黒茶は、地元では馬糞茶とかくさらし茶と呼ばれ、高知県の大豊町に残る碁石茶と同様に瀬戸内海沿岸の人々によって飲まれたり、茶粥として食され、瀬戸内海に勢力を誇った村上水軍も長い航海に携えていたかも知れません。石鎚黒茶は自生している山茶を、夏場に成熟した葉をしごき摘みし、大蒸籠で蒸した後茶葉をゴザに広げて天日干ししてから桶に漬け込んで白カビも生えた10日から2週間後に桶から出し解して完全に乾燥させたお茶です。
訪れた2月22日の石鎚山は、雪。小さなお大師様たちに供えられていた🍊はピカピカだったので、人が通らなくなった道ではないようだけれども、神社に着いたとたんスマホは圏外になったまま、諏訪神社から徒歩30分ほど登れば到着するであろう地点で引き返しました。雪帽子を被った茶葉も、雪の石鎚山も、いつかまた(≧◇≦)/゙゙゙゙
(2018-3-13)
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