12世紀後半(1185年)、京都を逃れた平家が讃岐屋島で源義経軍に敗れ落ち阿波山岳武士となった(平家落人伝説)が残るこの一帯、徳島市の西端山城は四国四県全てが接する四国のまんなかです。もともと山茶のある場所だった山城地域は自給自足の一環として各家庭でお茶作りをしていて時にはそのお茶を神戸などへ販売しに行ったとかう明治時代の記録が残るそうです。昭和30年代、この場所が茶栽培適地であると確信した先代は静岡県牧之原まで出向いて全国に先駆けてやぶきたを導入しました。それが現在山間部で採れる山城茶業組合の歩危茶です。
標高差を利用して一番茶は4月末から5月に下から徐々に摘んでゆきます。
共同工場は組合員200名、生産農家ごとに製茶(3時間工程)します。年間10万tの生葉を処理するのですが、新茶期に持ち込み殺到に対応できるよう1万㎏収容可能の生葉管理庫が地下に広がっていました。最近こちらでは、かつてぜんまいを茹でた機械を再利用して阿波晩茶も作っています。
(2018-3-15)
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