かつて都が置かれたことのある日本の要衝・近江。お茶も例外ではありません。お茶は仏教とともに留学僧に携えられて伝来しました。遣唐使として中国大陸に渡った伝教大師最澄が比叡山山麓の坂本に茶種を植えたのならば、時をほぼ同じくして、『日本後記』に、永忠が815年に近江の梵釈寺において嵯峨天皇にお茶を煎じて奉ったと喫茶に関する最初の記述となった地も近江でした。
戦国時代に天下取りの夢を追い駆けた武将たちが群雄割拠したのも近江、天下人となる豊富秀吉と石田光成の出会いを演出した“三献の茶”の出世物語には政所の茶が登場します。この物語は観音寺の周辺が政所茶の大産地であった事や、また後に秀吉が生涯 、政所茶を愛したと言われた事からも実話の可能性が高いとされています。
彼らが行った楽市楽座よりこの地の商は栄え、江戸時代に入ると近江商人は全国に物流ネットワークを拡大し、その取り扱い商品は各地各種物産に及び、茶も本居宣長の『玉勝間』に見られるように遠く秋田まで出荷されたとあります。巨万の富を築いた近江商人も本宅では質素倹約の食事で通してきたとありますが、近江商人の献立を開いてみるといちいち「お茶」の記載がみられます。
〜留学僧最澄・永忠から知将石田光成、そして「三方良し」の近江商人まで、その道の先にはお茶がありました〜
~2019年1月14日facebook記事より
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