想いを宿す茶

その子はね、ほんの小さな頃から神童の誉れ高く、雨の日も風の日も小さな足で山を越えて手習いに通い続け、辺鄙な田舎から大出世して、ついには歴史に残る高僧となったんだよと、まるでついこの間のことのように、知っている子を自慢するように、地元の人が言う。その子とは、円爾弁円、おおよそ750年前の高僧です。日本で天台の教学を極め、宋に渡り杭州径山萬寿禅寺で学び、帰朝の際に千巻に及ぶ典籍を持ち帰るとともに進んだ文化を日本にもたらしました。京都五山の一つ東福寺の開山となった円爾弁円は自分が歩いた道の終着点に故郷栃沢を選びます。頓知小僧と呼ばれた子供の頃の彼を知っている人たちは、彼が片視力を失って故郷に帰って来た時、心を痛めたことでしょう。留学僧として入宋した労苦によって目がつぶれていたのです。円爾弁円がこの世を去った時、日本禅僧最初の賜号聖一国師の号がおくられました。
慧眼の少年が旅立ち、そして戻って来た地に残したものがあります。安倍川上流一帯を茶の適地とわかっていたのでしょうか、中国から持ち帰った茶を植えたとされています。そして今、その地で生れた茶がまたこの道を通って、京都東福寺の境内で育っています。
深澤清馥(みさわのせいふく)は円爾弁円の想いを宿した二つの地が生んだお茶なのです。

2022年4月16日facebook記事より

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