ヴィクトリア朝時代の作品から知る英国紅茶の黎明

子供の頃に夢中になった小説世界の登場人物の一人であるシャーロック・ホームズ。あれから長い時が過ぎたせいか、記憶は遠い彼方におしやられてしまったけど、シャーロキアンでコナン・ドイル研究の第一人者である田中喜芳先生の2時間一瞬の澱みもない講義と世界に数点しか残っていない貴重な資料の数々が、錆びついてしまった記憶の扉を開くカギとなったような気がします。コナン・ドイルが40年もの月日を費やして書いたシャーロック・ホームズの時代はまさに英国紅茶の発展と共にあり、同時代を生きたコナン・ドイル、トーマス・リプトン、そしてビートン夫妻(イザベラ・メアリー・ビートン、サミュエル・オーチャート・ビートン)の人生とシンクロしています。シャーロック・ホームズ全60作品を英国紅茶という視点から読み返し、懐かしいホームズとワトソンに再会してみたくなりました。
先生が指摘して下さった茶に関するホームズの事件年表を書き残します。先生のご著書と共に^^
1874年 『グロリア・スコット号』
・かつては、中国茶の貿易に使われていたこともあったのだが、型が旧くなってしまい、船首が重くて、船の幅が広いので、新型のクリッパー船に取って代わられてしまった。
・ホームズの大学時代の数少ない友人の一人がインドのテライへ、茶の大規模栽培へ旅立って行った。
1886年 『入院患者』
・あの患者は毎朝早くにお茶を1杯持ってこさせます。(アーリーモーニング・ティー)
1888年 『ギリシア語通訳』
・夏の夕方のお茶のあとで、私ワトソンとホームズのおしゃべりは幅広い話題になった。(アフタヌーン・ティー)
1888年 『恐怖の谷』
・ホームズが村の宿に夕方5時頃戻ってくると、ワトソンが注文しておいたハイ・ティーに食欲旺盛だった。
1889年 『ボスコム谷の惨劇』
・田園地帯の小さな村についたのは午後4時頃、村にあるヘレフォード・アームズでホームズと私ワトソンはお茶を飲んだ。(アフタヌーン・ティー)
1889年 『海軍条約文書事件』
・村まで散歩し、そこのインでお茶を飲み、それから水筒をいっぱいにして…(アフタヌーン・ティー)
1889年 『背の曲がった男』
・バークリー夫人は夜9時に帰宅すると、お茶をメイドに注文し…(ナイト・ティー)
1890年 『緑柱石の』
・ワトソンがお茶を終えたときにホームズが帰って来た。ホームズはブーツの片方を隅に放り投げ、自分で紅茶を注いだ。(ハイ・ティー)
1895年 『三人の学生』
・アフタヌーン・ティーが事件の大きな要素になっている作品。
1897年 『アビ農園』
・駅に着くなり熱い紅茶を飲んで、体を十分に温めて…(アーリーモーニング・ティー)

2020年11月9日facebook記事より

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