嬉野釜炒り名人七十年の技

うれしの茶について
うれしの茶の発祥は、1440年に唐人船が長崎平戸に来て、現在の嬉野市嬉野町不動山皿屋谷において、陶器を製造し、傍に茶を栽培して飲用し、その後、1504年に明から紅令民が南京釜を持参し、唐製茶(釜炒り茶)を作ったと伝えられています。これがうれしの釜炒り茶の始まりです。
1650年代、衰退した茶業を復興すべく立ち上がったのが、佐賀藩士吉村新兵衛でした。山麓を開墾して茶樹を栽培し、現在のうれしの茶の礎を築いたのです。彼の死後その遺志を子息が引き継ぎ嬉野全域にお茶を広めました。
新兵衛さんを唄った茶摘み唄がこの地方に残ります(後でアップします)。
幕末、長崎で油商を営んでいた大浦慶は油に代わる商材として茶に目をつけ、それを海外に輸出することを思いつき、ペリーが浦賀に来航した1853年、出島商館のテキストルに嬉野茶の見本を渡し、帰国の途中でアメリカ、アラビア、イギリスに届けてくれるよう頼みます。三年後の1856年、慶はイギリス商ウイリアム・オルトから10万斤とも言われる巨額な注文を受けました。それを助けたのが、肥前国西嬉野村で茶仲買をしていた宮崎徳松でした。日本の茶貿易のはじまりは嬉野製釜炒り茶だったのです。
<うれしの茶交流館チャオシル資料より>

2020年11月13日facebook記事より

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