崇福寺趾

嵯峨天皇(786-842)、近江の唐(韓)崎に行幸し、その途次梵釈寺にて僧永忠(742-816)より 茶を献じられる。
日本が中国の進んだ制度や文化を学び、取り入れようとしていた奈良・平安時代に、遣唐使や留学僧によってもたらされたと推定されます。
平安初期(815年)の『日本後記』には、「嵯峨天皇に大僧都(だいそうず)永忠が近江の梵釈寺において茶を煎じて奉った」と記述されています。これが、わが国における日本茶の喫茶に関する最初の記述といわれています。
崇福寺は天智天皇の時代、大津遷都翌日に建立された寺です。寺跡は三条の尾根の上に残り、北尾根は弥勒堂跡、中の尾根は小金堂・塔跡、南尾根は金堂・講堂跡です。発掘された国宝舎利容器が発掘され、近江神宮に保管されています。参道には百穴古墳や石仏があります。

2020年8月28日facebook記事より

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