飛騨白川郷の集落は大小百十数棟の合掌造りが残り、今でもそこで人々の生活が営まれています。現在も尚生活が営まれている生きた建築物であるこのが世界遺産の条件となります。
白川郷には以下のような顕著な特徴がありました。
①かつて日本に残された最後の秘境と称された。
②庄川流域のユニークな文化の現れである合掌造りによって構成される特異な農村である。
③日本の他では見られず、極めて希少な存在である。
④現在壊滅的な状況であること。
⑤そのようななかでかつての集落景観を保持しているのは、法律によってその保護措置がとられている3つの集落のみであること。
萩町合掌造り集落の中で見学が可能な民家は4棟。夏に訪れた国重文和田家以外残り3棟を見学しました。
〈長瀬家〉
白川郷最大級の5階建て合掌造り家屋。五代目当主が明治23年に完成させました。260年続く旧家は初代から三代目当主が漢方医、三代目は加賀藩の藩医として大いに引き立てられ、鎌倉時代500年前の作と言われる仏壇を譲り受けています。
〈神田家〉
江戸後期に加賀の宮大工が10年の歳月をかけて建造したもの。茅葺き屋根の葺き替えは昔は50年に一度(コガヤかりやすの場合)、現在は30年に一度(オオガヤすすきの場合)行われます。屋根の傾斜60°は雪おろしをしなくても雪が自然に落ちる角度でもあります。1年365日24時間囲炉裏の火を絶やさないのは家を守るためです。煙が屋根を乾燥させ、煤が耐久性を保つのです。上の床は煙や煤が屋根裏まであがるように簀状になっています。こちらでは、中二階火見窓(囲炉裏の火の用心をするための小窓)を見ることができます。
〈明善寺〉
後鳥羽上皇の第二皇子嘉念坊善俊は親鸞聖人の直弟子として飛騨における浄土真宗の歴史を開き、白川郷に浄土真宗を広めました。集落ごとに聞法道場がつくられ、それが寺となりました。本堂は約260年前に飛騨高山の国分寺建立に関わった棟梁により建築されました。
2023年1月16日facebook記事より