千利休の京都の屋敷は、現在晴明神社がある場所にありました。神社の鳥居前に千利休居士聚楽屋敷趾の石碑がたっています。
では陰陽師安倍晴明を祀る清明神社はその当時どのような状態であったかというと、晴明の死後、一条天皇は晴明を祀る神社をつくるよう命じ、東は堀川、西は黒門、北は元誓願寺、南は中立売にまたがる広大な晴明神社が建てられました。現在の晴明神社は、江戸時代末期に再建されたものなのです。境内にある晴明井は利休が使った井戸、豊臣秀吉に振舞った最後の茶も、このお水を用いたと伝わります。洛中名水の一つです。
~2021年4月4日facebook記事より