柳井の金魚提灯と茶粥

岩国空港で不思議発見だった吊るされていた赤い金魚。柳井で疑問解決٩(^‿^)۶
金魚提灯は、江戸時代末期に柳井商人が旅先の青森弘前市で見たねぶたをヒントに作った子供の玩具、夏祭に火を灯して使ったことから始まります。
周防大島を後に柳井に渡った目的は柳井の郷土料理茶粥を食べるため。関ヶ原の戦後、岩国藩は米を節約する食事で財政難を乗り越えました。初代藩主吉川広家公は率先して茶粥を食べたとか。
本日の茶粥は、山口県産小野茶で炊いたヨモギ餅入りの茶粥です😋
餅の粥(かい)について
夕方の食事は、主食を麦飯とするところもあったが、法師渕や茂土路などでは茶粥としていた。ふつうの米に大根菜の干したものや、草餅を入れて作った。『柿木村誌』より

2022年5月20日facebook記事より

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