橋は城、錦帯橋にかけた思いと西湖遊覧志

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岩国城天守閣より錦帯橋をのぞむ

スマホに残っていた西湖

西暦1600年関ヶ原の戦い後、岩国に移封された岩国初代藩主吉川広家は錦川をはるか見下ろす山城岩国城を築きましたが、築城からたった七年、1615年に幕府により発せられた一国一城令によって城の破却を迫られることになります。岩国藩にとってこの城が唯一の城だったのですが、幕府が毛利家と吉川家を一国として扱ったため、毛利の支藩として自らの城を破却せざるを得なくなりました。城なき場所に架けられた城門橋錦帯橋は戦後の悲哀をかかえて生きた藩主三代の思いが具現化したものです。三代藩主広嘉が完成させたのは稀なる木造五連のアーチ橋でした。明からの亡命僧独立性易禅師に故郷杭州の風景と似ていると語られた『西湖遊覧志』中の蘇堤から発想を得たと言います。

2022年5月17日facebook記事より

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