高知県との県境にある徳島県三好に位置する有瀬集落は山間部に茶畑が広がります。山霧にしばしば包まれる南向き斜面は徳島県の有瀨、向かい側は碁石茶産地である高知県の大豊町があります。両側ともぜんまいがよく採れたのだけど、北側の大豊町のほうが良かったのだとか。
現在61歳の平松さんの家に電話がきたのは中学一年生の頃、そのまえまで標高430〜450mに民家が点在した有瀬地区では、例えば雪のせいで休校になる時には一番山の上に住んでいる家に休校の知らせが入り、その子はすぐ下の家の子に合図で知らせ、またどんどん伝言ゲームのように麓の家まで休校の知らせを届けたのだそうです。休校になりそうな日は、子供たちは上からの知らせがくるのをワクワクして待ったと、今はない微笑ましい風景です。
人の憶記に残る茶業は大正期、静岡から手揉み技術を教えてもらったこと。各家に焙炉があり夕方になると皆で自分が作った茶を持ちより比べ合って、切磋琢磨して技を磨いた結果、井本八郎、立道才三など名人の名が残りました。
また、茶の畝に竹をトンネルのようにさして“すご”をかけるかぶせも行われたそうです。昭和40年代からボチボチやぶきたの導入が始まって、養蚕用の桑畑などが茶畑に変わりました。現在山茶は一回だけ、やぶきたは一番、親子、番茶を摘みます。かって共同を含めて7軒あった製茶工場は今3軒残るのみです。
(2018-3-20)
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